「タレントの上岡龍太郎さん(享年81)が、5月19日に肺がんと間質性肺炎のため亡くなっていたことが明らかになった。
上岡さんは1960年にちょうど10歳上の故・横山ノックさんらと「漫画トリオ」を組み、横山パンチを名乗った。「鶴瓶上岡パペポTV」など数々の番組に出演し、88年に放送を開始した「探偵!ナイトスクープ」では初代「局長」を務めた。公言した通り、“まだこれから”という58歳で「俺の芸は21世紀には通用しない」という言葉を残して引退。その後、プロゴルファーを目指して米国に“ゴルフ留学”したもののプロにはならず。自腹を切って好きな落語や芝居に通い、悠々自適で優雅な隠居生活を送っていたという。」
上岡龍太郎氏は大阪では有名なタレントさんで、昔は漫画トリオのリーダーだった横山ノックの相方の一人で、「ノックは無用」とかいうテレビ番組の司会やら毎週金曜に放映されてる「探偵ナイトスクープ」の司会者としてテレビの中で存在する人というイメージでしかないですからね、私の印象は・・
番組で聞いたハナシでは、上岡龍太郎氏は京都市出身で父親は弁護士だったとかで、私は行書で弁護士ではないけれど同様に法律を扱う仕事をしている関係上、上岡龍太郎氏に関してはその他のタレントさんとは違い、少しは身近なイメージがあったのですよ。
上岡龍太郎氏は、高校生の時に司会等でテレビやラジオで有名な浜村淳氏の所へ行き、弟子にしてほしい旨伝えたところ断られたとかで、大学受験して落ちたらもう一度来いとか言われたらしく、立命館大学を受験したところ不合格となったので再度浜村淳氏のところへ行ったら、再び弟子にするようなことはしない旨言われたとか・・後日談で、浜村淳氏曰く、上岡龍太郎氏は立命館大学に合格すると思っていて、まさか不合格になるとは思わなかった、不合格になったらまたおいで、と言ったのは断り文句だった、とか言ってましたね・・
その浜村淳氏は、私と同じ同志社大学出身で、身近に感じるタレントさんの一人、同窓だとわかると学生時代のことを思い出すに、あのキャンパスで同じ学生生活をしたOBなんだな、と思うと身近な気分になっちゃう、まあ、それだけなんですが、上岡龍太郎氏に関してはその父親が弁護士だったというだけではなく、58才で芸能界を引退した後、あの人間国宝、文化勲章受章者であった落語家の桂米朝事務所を介して自分自身の情報発信の窓口としていたところです・・桂米朝氏は落語の名人で人間国宝になるような誰もが知る有名人ですが、私が同志社大学経済学部の学生だったころ所属していたゼミの教授の娘さんが桂米朝氏の息子の小米朝氏のところへ嫁に行ったからなんですね、つまり、私のゼミの教授と桂米朝氏は親戚(姻族)になっていた・・とはいうものの、私は上岡龍太郎氏とは全く面識もないし単にイメージの世界なんだけど、何となくですが、タモリの友達の輪ではないけれど、社会は意外なところでつながっていて、世間は狭いな・・と思った次第ですね。