JAL123便事故から37年・・を思い出す・・

「520人が犠牲になった日航ジャンボ機の墜落事故から12日で37年です。 墜落現場となった群馬県上野村では12日夜、新型コロナウイルスの感染防止のため村や日本航空など一部の関係者に出席者を限って追悼慰霊式が行われました。」

JAL123便事故は非常に印象的な大事故でした・・というのも、私はちょうど当日は大阪から移動して東京にいて、生中継で事故の様子をテレビで見ていたからです。

もう、37年前なのか、と思いますけど、何で大阪から東京に移動したのかというと、ちょうど学生時代の就活の時期で、東京本社の某財閥系企業の役員面接に呼ばれておりまして、その会社の独身寮があった品川の寮でくつろいでテレビを見ていたら突如緊急速報となりJAL123便墜落ニュース一色となったのです。

当時の就活は、大学4回生の夏前から始まり各企業に学生が呼ばれて説明会やら面接に呼ばれて内定というものでしたね、私は就職希望は証券会社でしたけど、色んな会社に呼ばれてメーカーやら商社やら銀行やら保険会社やらから説明会だの面接だのに呼ばれて、呼ばれるままに全部に参加できないからそのうち選択して日程的に参加できる会社に絞って面接等に参加してるというものでしたね・・

たまたま、大阪市内で面接に参加した某財閥企業から電話があり、東京本社に来いと呼ばれ、他の面接が続々とあったが渋々と新幹線で移動して、指定の品川にあった独身寮でテレビを見て休んでたんですよ。そこでJAL墜落事件の当日に重なったわけだ。

仮に、呼ばれる時期が1日早くなって、たまたまJALで大阪に帰ってたら・・とか最悪の状況を想像して恐ろしくなりましたね、だから、あの事件は非常に印象が残っているのです。

結局、その財閥系企業には就職することなく、私は希望通りに証券会社に就職したのですが、私は当時20社ほどの会社で内定をもらっていたのだけど、そのうち希望してその会社に意気揚々と就職したつもりが、結局水に合わず、3年で退職してしまいました・・それで考えるに、その東京の財閥企業に就職してたら良かったな・・しくじったな・・と後悔したんですよね・・後の祭りですが・・それがJAL便墜落とオーバーラップして余計に印象深い。

そんな過去の思い出ハナシというのかしくじりハナシというのか、まあ、ぼやきですね・・