8月といえば、お盆ですね・・
お盆といえば、墓参りでしょ、供養ですね。
うちの家系では、お盆は先祖代々の墓のある福井県小浜市にあるお寺で毎年供養しているのですよ・・大阪じゃないんです・・
うちの家系は先祖から宮大工で、神社仏閣やらの新築増築改築移転などの建設工事に携わっていたんです・・まあ、だから、現代風にいえば建設業者ですね・・
大正時代くらいまでは小浜市で杢太夫とかいう名称の工務店をしていたようです。
当時の小浜市は相当に大きな地方都市で、大正時代には立派な都市になっておりましたことは当時の地図を見ても良くわかります。
実際に大正時代は相当金回りがよかったらしく、檀家寺に当時のカネで多額な寄付をしたり、近所の神社に狛犬を寄進したり、祭りに使うだんじりを寄付したりした記録が残っています。
古くからの戸籍等記録によれば、私の4代先の先祖は大工の棟梁で杢太夫(工務店)を取り仕切っておりましたが、3代先(つまり、4代先の息子)の曽祖父さんは大工仕事が嫌いで、東京浅草に事業を立ち上げて商売を始めて、小浜には帰ってこなくなったそうで、以来、うちの家系は、小浜→東京浅草→横浜→カナダ・バンクーバーと拠点を移動したそうです・・
当時、相当に金回りがよかったらしく、私の祖父はボンボンで私立の開成中学に入学してその後武田薬品(東京支店)に入社して、サラリーマン生活を始めたものの、給料が安い等不平をたらして、退職して満鉄に入社し、日米戦争の最中に一族郎党引き連れて満州に渡ったらしいのですね、まあ、相当に無謀な選択です。
ところが、満州で生活を始めた途端、日本が敗戦、一転して満州からの引揚者となり生きるや死ぬやの毎日となったのだとか・・
命からがら日本本土に帰還できたものの、肝心の生活の糧は何一つなし。東京にあった自宅も財産を売り払って満州に渡ってきたからです。で、日本に帰国(舞鶴港だったらしい)した時は、スッカラカンだったらしいです・・
元々は福井県小浜市出身なのだけど、もはや生活の地盤は何もなく墓しか残ってない。親戚が京都にいたらしく、その親戚を頼り一族郎党ぞろぞろと居候生活を余儀なくされたらしい。
その当時の生活が想像を超える惨めなものだったらしく、祖父が存命の時に、私は歴史を残そうとして昔ハナシを持ちかけたが一切口をつぐんで何も話してくれませんでした。
それから、うちの家系は大阪を拠点として生活することになったみたいですね、だから、私もこの大阪に居ついてしまってる。
で、毎年お盆になるとうちは小浜市にある寺で供養をするのですよ。
その足で、子供たちと阿納(あのう)の民宿に泊まり海水浴やら鯛の舟盛りやらを食べては遊んで帰るんですよ、今年もコロナだけど供養に行くことになっています。