グローバル化は公害に等しい。

クルマのハナシをすれば際限なくなっちゃうのだけど・・

本当にこの件に関しては、ボヤキたい気持ちで一杯なんですよ。

本来、消費者にとってクルマの必要性は、人と荷物を載せて目的地に迅速にかつ安全に移動することでしょ、それ以外に目的などないはず。

しかし、自宅や身の回りの着るものや手持ち品に至るまで好みのデザインやひいては持つ人のイメージやステータス性に至るまで消費者行動に影響する場合がある。

クルマを製造するメーカーや販売業者、その他流通に関与する一切の関連業者を含めて、クルマという耐久消費財をいかに売って利益を回収するのか、に日々マーケティング等研究を日々怠らず、いかに売れるクルマを製造し販売するのか、と企画するわけですよ。

だから、何でこんなにクルマって種類があるのか、ムダじゃないのか、と思うくらいに続々と新車が投入され、ある一定のイメージ付けて付加価値を請求して、クルマ屋は商売しとるわけです。

私はクルマに関連するビジネスは一切してませんのでね、全くの消費者の立場です。

今回のボヤキは、昨今のグローバル化汚染についてですよ。

70年後半から80年代中盤にかけて、米国が日本に対して貿易摩擦を仕掛けて、政治圧力を加え、日本メーカーは自重しろだの市場を米国に全面開放しろだの一方的な主張な政治問題になり、日本側とすれば政治的に解決を余儀なくされたのです。

結果、従来日本の自動車産業にあった商慣習のようなものが廃止となり、各メーカーの城下町が崩壊したのですよ。

例えば、トヨタや日産等メーカーはメーカー同士激しく競争しており、売れるクルマの開発競争に血眼になる。

結果、技術的な開発競争が激しく行われ、同時に技術の特許化等取り込み独占化が行われてきたんですね、例えば、トヨタ傘下の部品会社は他メーカーとの取引は許されなかった。

ところが、米国の政治圧力の結果、各メーカー専属の部品会社が自由化してしまい、他のメーカーと自由に取引ができるようになった。同時に、例えばトヨタ独占技術が部品メーカーを通じて他国メーカーに移転しまうような事態になっちゃったんですよ。

だから、今や、世界中の自動車メーカーは同じ技術を土台として、ほとんど同じ商品になってしまっているんですね。もう、違うのはデザインと商品イメージだけです。

最近のベンツもBMWも中身はトヨタ、ってことになってる。

ある意味、好事家たる私の立場なんて全くないんですよ、まあ、立場ってたって自分の思い込みなんですけど。

従来、ドイツ車ってね、マーケティングを無視したかの頑固一徹な作りが好事家にとって評論のしがいがあったというものですし、イタリア車やイギリス車は華奢ですぐに壊れるのが特徴で、例えばね、好事家としてはですね、イタリア車に乗って、新車なのにボンネットから白い煙が出て走行停止するのが当然想定される場面で、その際に、必ず、修理屋に行くときは、ニヤニヤとしながらポンコツ新車を運転することが正にイタリア車乗りの真骨頂といえるわけですよ、変態ですけどね。

それが部品のグローバル化となって、全部が精緻なトヨタ製部品、トヨタ製ハイブリッドになっちゃった。そうなると、イタリア車乗りたる変態好事家の身の置き場がなくなっちゃうんですよ、困っちゃうんですよ、変態人間とすれば。

まあ、一例なんですが、グローバル化なんてやめて欲しいです。

本当に嘆かわしいことだ、と私はボヤキたくなるんですよ。