夕陽丘予備校が移転するのだとか・・

そろそろ大学受験のシーズンですが、私の学生の頃の大学受験は、国公立受験者は共通一次試験の始まりの時期で、当時5教科7科目1000点満点で、その一次試験を受験してから予備校等の公表する模範解答などを参考に自己採点して、2次試験先に出願して受験して、3月に合格発表だったと記憶します。私の高校時代は普通の公立校でしかもインターハイ出場を夢見て毎日毎日テニスの練習三昧で受験勉強は全く無縁だったのに、一流ないし有名大学希望だったから、そもそも需給バランス上均衡点が見いだせる道理がありません。国公立志望だと共通一次5教科7科目を当然に高得点で、しかも2次試験にパスする必要があるのに、まるっきり学力が伴わない。そこで、私は1浪して3教科で受験できる私立大学のトップ校に第1志望に決めました。しかし、当時は国立は共通1次で7科目受験が必須であって負担が大きいので、私と同じような考えの受験生は多かったようで、有名私立に受験生が殺到して難易度が急上昇して、3教科に受験科目は絞れるのだけど競争が厳しくなり、難易度は相当高かった。

今はどうなってるのか定かではないが、私の学生時代は私立は同志社大が最高峰で、関学、立命館、関大・・という序列で、学部によっては関学が人気のあるものもありましたが、私の場合は、第1志望は同志社一択で、あとは滑り止め、という設定で浪人生活を送っていました。

いわゆる関関同立をいう括りの関西難関私立で、当時は受験者も多くて、学部も少ないし募集枠も限定されていたから大学受験は非常に難関でした。その難関合格を請け負う業者が大学受験専門の予備校で、私の場合、浪人は天王寺にある夕陽丘予備校一択でした。私の時代の夕陽丘予備校は浪人生で毎日毎日溢れかえって大混雑状態でした。人気講師の講義は教室が溢れかえる状況で、授業料を払っているのに、カリスマ講師の講義を聴くのに「特講」というのがあって、さらに授業料を払って二重払いしなければ受講できないありさまでした。

その夕陽丘予備校の創立者で理事長の白山桂三氏は私の実家の近所の人で、私らが小学生時代に蝉取りをするのに白山氏の邸宅の庭に入らせてもらったものです。その他の家では全部断られるのに、白山邸に行けば奥さんがいつも愛想よく「どうぞどうぞお入り下さい」と招いて、お茶まで出してくれる。ありがたい家だな、といつも拝んでいたんですが、そのご主人が夕陽丘予備校の創立者で理事長の白山桂三先生だとは、浪人になって知ったことです。

その白山先生に直接聞いたことだが、「関関同立はワシが考えた」とのこと。

受験生だったら誰でも知ってる関関同立は白山先生が考えたというのは後に有名になりましたが、私は、「ははぁー」と拝んでましたよ。

ところで、その思い出の夕陽丘予備校ですが、現況では昔の活気はないようで、駿台やら河合塾から東進やらの大手大資本の予備校が独占しているようです。最近、予備校周辺を散歩してると、近所だけど移転するのだとか・・そこで恐る恐る職員に「今の校舎等はどうするんですか」と聞くと、「わかりません」とのこと。潰してしまうのかな・・青春の思い出の詰まった予備校校舎を・・やっぱりなくなるんだ・・ああ、嘆かわしいな・・頭を色んな思い出が巡ってくる。一般的には、履歴書に残らない予備校に思い入れのある人は少ないでしょうね、しかし、私は夕陽丘予備校に思い入れがあるのですよ。