すべて自己責任で頑張って下さい。

「秋篠宮家の長女・眞子さまが小室圭さんとの結婚にあたり一時金を辞退されたことについて、加藤官房長官は「ご本人が受け取らない意向であれば、政府が支出義務を負うことはない」と述べました。

眞子さまと小室さんの結婚について、加藤長官は「末永いご多幸と皇室の一層のご繁栄を心からお祈りを申し上げます」と述べました。

一方で、眞子さまが一時金を辞退する考えを示されたことについて、次のように述べました。

加藤官房長官「基本的には当該一時金の支出は政府の義務ではあるものの、ご本人の受け取らないご意向が明らかである場合にまで政府が支出義務を負うことにはならない」

加藤長官は、「ご本人が受け取らない意向である場合、政府は支出の義務を負うことにはならないと宮内庁で解釈がなされた」と述べました。」

秋篠宮様は、かつて娘2人は自由に育てるかのような話だったが、自由とはいかにもアメリカ的だな・・ちょっと不安だな、と思いましたが、何だかその不安感が的中したな、と・・

自由とは漠然とした概念だが、裏腹な意味を持つのでね・・

その象徴が学習院からICU(国際基督教大学)ということなんだろう。

ICUは、日本の大学とは違う米国的な教育を行う大学で、米国の大学同様に学部を複数持たず、教養学部のみに限定されている。

日本の一般的な大学では、2年次までは教養課程で3年次以降は専門課程になるが、米国の一般的大学はこれが4年間全部が教養課程になる。つまり、法学部なり経済学部なりに属して、論文を書いたりは一切しない、ということだ。

米国では、大学は教養を自由に学ぶところで、専門課程は大学院の前期2年という仕組みになってる。だから、日本でいう「大学」とは、米国でいう「修士課程」を意味するわけだ。

ICUとは、このように専門課程を持たない大学ということで、一般にリベラルアーツと呼ばれる。大学は日本でも自由なところだが、ICUは米国式の自由の大学だといえる。秋篠宮家の娘たちは、この米国式自由を選んだ。そして、秋篠宮様もそれを追認した、ということなんだろう。

ICUに学ぶ学生たちは、米国式の自由の信仰者だといえる。

自由だが、すべて自己責任だという世界なんだね・・確かに、努力して成功するのも自由だが、失敗して滅亡するのも自由だという意味。

一見、自由は輝いて見える・・しかし、その輝きはごく一部の成功者にだけの特権となるのが米国社会といえるのだと思う。

眞子さま本人は、「自由を掴むんだ」という前向きな旅の始まりなのかもしれないが、国民目線で見ると、本当に不安だ・・単純計算すると1%の成功と99%の失敗に向けて走り始めたように見えるからだ。

一時金の約1億5000万円なりは、これから終身までに至る国民からの餞別と私は解釈するのだけど、それも振りきり、出発したという感じだ。しかし、現実は今後色々な問題が多発するのだろうけど、眞子さまなりに不退転の気持ちで望むしかない。国民としては祈るしかないな・・