人間の持ち時間は有限なので、どのような時間の使い方をしたところでいずれ時間がくればあの世に旅立つことになる・・
前もここで書いたのだけど、人間の生きる目的があるのかって、そもそもそのようなものは存在しないのだから、生きている間はいろいろな拘りがででくるのだろうけど、実は何の意味もない。だから、人間は水が流れるように淡々と生きてゆけばいいのだ、というのが私の考えです。
実は、人間は単に自然に存在するのだから、雑草がそのへんに生えるように、めいめいが勝手気ままに創意工夫して生きていけばいいのだけど、社会を構成して集団で生きてゆく動物だから、教育を通じて社会の部品化する作業が必要になる。人間を社会的に能力を平準化する作業が教育なのだとはいえるが、一方で階層をつくるためでもあるといえる。教室で同じく勉強が始まっても取得能力がまちまちだから、成績順に分けて進学する学校に分類する。一番勉強のできる者は東大や京大に進学して、社会のトップクラスの階層に組み込まれ、それなりの働きをするというもの。
日本の場合、学歴でピラミッドが構成され、卒業した学校であらかたその人の学力がわかってしまう仕組みです。だから、おもしろいもんで、人を判断するのに学歴ってわかりやすいんですね、だから、就職時に企業などはそれを採用基準にしたりするんですよ、簡単だからです。
しかし、学歴は高校生時代に形成されるもので、社会人では関係ないんですよ、年取って大学に行きましたといっても、あっそう、ご苦労だね、という感覚しかないですから。おもしろいんだけど、学歴の効用って高校時代の学力のみが重視されるんです。まあ、地アタマのような基準なんでしょうかね、つまり、学歴の効果が最も発揮するのは学卒の就職時だけです。一般社会では学歴は関係ありませんよ、社会に出れば、社会的地位や財産がどれだけあるやなしやが問題なんでしょう。社会的地位は収入に関係するから、やはり、行き着くところ、カネがあるかどうかってことなんでしょう。
ちなみに、私は大学を出てから学歴とは全く関係のない世界にいましたからね、ましてや、東大や京大を出てるわけでもないから学歴自慢なんてないしね。だから、自分の感覚では学歴なんてどうでもいいですけどね・・だけど、自分の感覚と裏腹に世間の印象は違うかもしれんな・・ま、私の感覚だけど、大学進学するなら東大・京大ですね、それ以外はどこでも同じ。だから、大学進学するなら東大か京大へ行けっていいますよ。それ以外なら、まあ、好きにすればーって感じです。つまり、私の主観としては、学歴として意味あるのは東大か京大ってことですよ。
だけど、それは私の勝手な感覚で、一般的には、学歴に何ら拘る必要もないし意味はないと思いますね・・東大卒京大卒といういよりも、金持ちという方が価値がありますよ。社会に出れば、しっかりと経済的に自立してやっていければそれでOKですよ。それだけのことです。