「公務員や大企業に就職しても、すぐに転職する若者が増えている。親からは「せっかく一生安泰の職に就けたのに…」とため息も聞こえてくるが、そこには若者たちが抱える特有事情があるようだ。」
日本の教育って「悪」だな・・って思う部分があるんですよ。
例えば、「将来何になりたいですか」とかいう質問するでしょ。
質問をする大人の意図としては、努力すれば誰でも夢に到達できる・・とか言いたいのでしょうが、人間はね、生まれながらにできる能力の限界があるんです。
昔は「分をわきまえろ」というのがあって、自己の能力をわきまえずに過大な夢を見るな、というのが当たり前の風潮だった。
つまり、「努力すれば誰でも夢に到達できる」VS「分をわきまえろ」ですが、どちらが多く人を幸せにできるシステムかというと後者だと私は思いますね。
パラリンピックってあるでしょ、私はあれが理解できない。
主催者の意図としては、身体障がい者であっても世界の舞台で活躍できるんだ、夢が実現できるんだ、ってことかもしれないが、私からみると単に身体障がい者イジメです。人権侵害のおそれもあると思いますね・・
就職もね・・夢の実現とかやりがいだとか色んなことになるんだけど、仕事はね・・自分や家族が食っていくために必要なことで、夢だとかやりがいでやるものではない、というのが私の意見です。
確かに、世の中、ラッキーな人もいるんだろうけど、そんなものほとんど確率はゼロに近いんですよ。そんなものを本気で求めてはいけません。それが原因でほとんどの人は不幸になってゆくのです。
人間はね・・大金持ちになる必要もなければ偉大な権力者になる必要もないんですよ・・お金も自分や家族が普通に過ごせる程度の収入があれば事足れるのですよ、それ以上のカネがあっても意味ないし、むしろ、相続が発生した時に揉める素になるだけですよ。
そもそも、他人にどうこういわれる筋合いもないし、困った時に赤の他人が生活の面倒をみてくれるわけでもないでしょ。世間の雑音なんて聞き流せばいいんですよ、関係ないよってね。
結論としては、幸せになりたければ「夢を見るな」ということです。
まあ、確率の問題ですが、自分の夢に執着すればするほど不幸になる確率が拡大します。
人間は生まれながらにして自然に存在するのであって、工業製品のような目的をもって製造されているものではないのです。
それを勘違いして、「自分の存在に価値があるのか」とか真剣に考えちゃうんですよ、あのね、「価値」って基準がそもそも無いから。